3期生の広場

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013
 3期生 笹生 昇さん 
 デビューしまし 
 先日(2013,2,22)ご本人さんから会員申請の手続きが行われました。
早速、登録を済ませPW(パスワード)を送信しましたらご丁寧にHPの
ご案内と現状報告が掲載されていました。
(本人様の了解を得て下記にメールを掲載します)
 
 自分は、現役時代パソコンとは縁の無い生活だった為、今でも暗中模索と言う状態で、
今回、何とかアクセスできて、メールを頂き、一つ前に進めたと喜んでいます。 
浦島太郎のような気分です。 いろいろ浮かんでくるのですが記憶がつながりません。 
取りあえず思いつくままに書いてみます。使えるところがあったらと思います。
 私達は、昭和40年の入社で、高卒、大卒合わせて540名位だったと思います。
後に阪急で活躍した福本選手も一緒だったと思います。自分の場合、神奈川県の
辻堂海岸にあった松籟荘から、蓄電池(事)へ尾島さんと二人が配属になりました。
 
寮は、藤沢のテレビ工場や、辻堂の乾電池工場へ配属になった方達と一緒で
「締まる(40=シマル)会」と言う言葉も有ったような気がします。


 少し話が戻りますが3年生の職場実習で、中央研究所へ配属になった藪下さんは
九州弁で、「毎日カラーテレビのシャドウマスク」を“ガシャンガシャン”と、「割っちょる」と
周りの人を和ませていました。この話に関連して自分が所帯を持ち(30歳前半)自船を
更新するか迷い、旭硝子の船橋工場へ派遣社員として、ブラウン管の検査の仕事に
行きました。薄型テレビや、パソコン用等に備えて正社員の方は、そちらへ力を入れて
いたようです。
次から次へとあの頃の事が浮かんできます。アルバムが見つからなくて、お名前と顔が
繋がらないのが残念です。

特に大腸癌が見つかった時は、「これで終わったな!」と思いつめた事もあり、
現役時代の「苦労から解き放たれる」と、気が楽になったと感じたことも有りましたが、
乗り越えられて、又仕事というプレッシャーのない、マイペースで出来る趣味に近いものが
もてた事を、喜んでいます。

それからパソコン素人なりに、ボケ防止と地域紹介を兼ねてホームページを作りました。
(「仲間のHP」に掲載しました)