4期生の「楯石 淡耶(義男)」さんです。 |
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1)民謡へのきっかけは父親の影響
民謡一家でした。父親から強い影響を受けました
民謡も尺八いづれも、父の真似をしていたと言うのが実態です。
工学院へ入学しましたが、ふるさと宮城から遠隔地と言うこともあり
松学寮の屋上で唄い、吹いていました。ラグビーの練習後のお
風呂へ入っては「民謡」を大声で歌っていた事も有ります。
民謡と尺八は子供の頃から親しんでいたというか、身についていた 感覚があり、自然と誰に言われることなく取組んでいたという感じです
2)尺八の流派は決まっていません
筝曲と異なり、民謡では、流派をとやかく言わないようです
当所は琴古流の筝曲の師匠に通いましたが、本来「江差追分」を吹
きたいという気持ちが強く、民謡尺八に転向しました
<筝曲の師匠から民謡の師匠に変えています>
尺八には本曲、筝曲、民謡他等のジャンルが有ります
今では「松前追分」を弟子にも教え自分でも楽しんでいます。
なかなかの名曲で皆様に聞いていただく場合は、松前追分を吹か
せていただいています。ちなみに「松前追分」とは、「江差追分」
の元唄になったと言われている曲でもあり日本人が最も好む民謡
の一つではないでしょうか。秋の夜長尺八の音もなかなかピッタリの
時節を迎えました
3)仕事との両立について 「動」のラグビーと、「静」の尺八というバランスを大切にしてきました 途中でラグビーの人数が集まらないために、サッカーやマラソンに
転向しましたが、それでも尺八は続けてまいりました
宇都宮から大阪や奈良や北海道への出張時にも必ず持参し、電車
の中ホテルでは隣のお部屋に聞こえないような静かな音で吹き続
けてまいりました。
自動車での移動時は赤信号で停止した僅かな時間でも、尺八の稽
古をした時期も有ります。なにせ練習時間の確保は欠かせません。
其れが習慣となって現在まで何とか続けてこられたのではないかと
思います。
働き盛りの時期には、残業やら出張で練習時間の確保は大変です。
「時間が出来たら習い事でもやるか?」というものではないようです。
師匠がいつも口癖に「楯石君、僅かな時間を見つけて取り組みなさい。
一声唄えば、その分上達するんだよ」という言葉に後ろを押さ
れて今に至っています。本当に師匠は有難いなと感謝感謝です。
4)「淡耶」の雅号を拝受 宇都宮の師匠は「菊池淡水先生」の直弟子でした。そのご縁で、東京の家元より 「淡耶」の名前を頂きました。名に恥じずに精励せよとの励ましであったと思い、 仲間共々練習に取り組みました。民謡・尺八歴が古い(42年)ことから本年4月より
1)栃木県民謡連盟副会長<最年少>
2)(財)日本民謡協会・栃木県連合委員会副委員長<最年少>
に推薦を受け就任しました。
師匠が創設した民謡市民サークル「宇都宮淡勇会」の3代目会長として会
の代表職を担っています。<師匠は6年前に逝去>
「淡耶」の看板は重く、毎日2時間の練習時間を確保すべく努力をしています
文化活動を通じて人間関係の輪が県内広く広がり有難いことと感謝です。
得意分野を生かして、小学校総合学習授業に民謡・尺八の指導者として参加 今後は今までのお返しの意味を込めて県内各施設訪問等も取組みたいと話合 っています。協会が募る芸能世界大会へ参加するチャンスがあれば挑戦したいと 思います。今後とも民謡の保存・伝承・普及活動を通じて日本伝統文化の向上に
貢献出来ますよう、努力精進を誓うものです。
「芸は人なり、人は和なり」と教えていただきますが、「出会い・触れ合い・学びあい」
の活動を通じて、自己成長を図って行きたいと願っています。 望郷の念抑えがたく、枚方の地より始った「ふるさとを思う唄、尺八の音」を基点
とした「芸道探求の旅」は、これからも続きます。
ありがとうございます
10/3 楯石 義男⇒ 淡耶
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