トピックス  NO,0003 
 
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 情報元 3期生 横尾幸三
  樋口弘行さんについて

 2015年3月4日、3期生同窓会の帰り道、樋口さんがちょっと照れながら、「これ暇な時にでも読んでみて」と渡してくれたのがこの「NHK学園・・・」の一文です。

 彼とは同じ九州出身のよしみで、工学院時代はもとより卒業後も何回か会って、酒を酌み交わしています。 聴力障碍にもめげずに希望を捨てず頑張っている彼の姿勢に、心打たれ、勇気をもらっています。 ただ、NHK学園高校に行ったことは知りませんでした。
 この文章を読み返すたびに、ハンディをはね返して目標に向かって頑張る彼の姿は、むしろ楽しんでいるようでもあります。

 古希を前にして、老け込むのはまだ早いです。 同胞の皆さんに読んでもらいたくて、
樋口さんの許しを得て投稿します。
 
 樋口弘行さんの略歴
 昭和40年 3月  松下電器工学院卒業
 昭和40年 4月  松下電器株式会社入社
 昭和41年 4月  導入教育後松下電子工業へ出向
           ブラウン管の製造、製造技術、品質技術を担当
 昭和50年 6月  九州特機営業所へ転勤
           道路付帯電気設備、防災無線などを中心とした官公庁営業を担当
           福岡、長崎、東京で勤務(長崎勤務時「雲仙普賢岳噴火」に対応)
 平成15年12月  膜炎を発症し両耳聴力を無くす
 平成16年 6月 左耳に人工内耳装用手術
 平成16年 9月 早期退職し松下電器及びグループ会社嘱託顧問として勤務
 平成20年 3月 退社
 平成21年 4月 NHK学園高校入学
 平成24年 3月 NHK学園高校卒業
   現 代    就活(終活)中 !!
 
 佳作
 NHK学園は第二の青春
                                       博多青松協力校 三年次 樋口弘行
    「願書は早く出したほうがいいんじゃないの?」と妻が言う。
「そうだな」と返事はしたものの、この歳で子供か孫くらいの人と机を並べて勉強?まさか学生服を着るのでは?と思うとちょっと照れくさいし、ためらいもありました。それよりも私にはもっと大きな心配、気がかりになることがあったのです。
 私には57歳のとき髄膜炎を患い九死に一生を得ました。しかしそれと引き換えにわずか半日足らずで両耳が全く聞こえなくなり、平衡感覚もなくなる障がい者になったのです。立つことはもちろん座ることさえできなくなりました。半年ほどの歩行器でのリハビリと頭に埋め込む内耳(補聴器の一種)の手術で何とか歩けるようになり、耳も聞こえるようになりましたが弁別がうまく出来ません。つまり言葉がはっきり聞き分けできないのです。
特に学校など大勢の中でほとんど聞き取れません。果たしてそんな私に入学を許されるのか、とても心配だったのです。
 私は(当時)65歳。勉強は好きだったのですが家が貧しく高校には行きませんでした。たまたま大阪の大手電機メーカーから中学校へ社員養成校への案内が来ました。当時は九州から大阪へ行くのは大変なことで「死ぬまでには一度は行ってみたい!」と思っていたくらいでしたから、大都会に住めるし、家にも負担をかけないと早速受験し[そこへ行くことにしました。
 会社では高卒扱いでしたが学歴よりやる気と実績を重要視する会社でしたので、あまりハンディーを感じることはありませんでした。ただ公認資格試験を受験するには学歴ごとに経験年数が必要な場合があります。
たとえ資格に関係ない大学でも大卒なら3年の経験で受験できるのに私は十年の経験が必要だとか・・・・・・・そういう面での悔しさを感じたことはありました。
 心配していた入学も許可され、インクの匂いがする真新しい教科書が届くと「こんなことを勉強するのか!」とまるで子供が小学校に入学する時みたいに心が弾みました。
 そして心に誓ったのです。
 ・リポートは必ず提出期限までに出す。
 ・スクーリングは可能な限り出席する。
 ・どの科目も同じように取り組む    と。

 学校ではちゃんと聞こえればもっと友達もできたのでしょうが、それでもそれなりに仲間もできました。 私の名前が呼ばれると友達が私の顔を見て教えてくれます。 体育では体力テストの反復横とびや球技など動きの速いものがうまくできません。 そんな私に先生も気を遣っていただいています。
 ただ私は耳がよく聞こえませんのでほかの人と違った悩みもあります。それは放送を聞くことです。テレビ(パソコン)の場合は放送内容をまとめた「内容を見る」と映像で大体は分かるのですがラジオやCDの場合は音声だけですので聞き取るのに大変です。 特に英語の場合は他の人なら一、二回聞けば理解できる内容でも私の場合は何回聞いてもわからないことが多いのです。 英語のリポートでは十回、二十回聞いても分からない時は妻や子供に教えてもらうこともあります。
 スクーリング前日は、いそいそと教材をバッグに詰め、学校へ行くのが楽しみです。 若いクラスメートと会うと私までが若返ったような気がします。 授業は少しでも聞き取れるように真ん中の前列が私の指定席です。 先生が黒板に書く内容と教科書を見比べながら「今ここだな」と必死について行かなければなりません。 そして今の楽しみのひとつはリポートの添削結果が届いていないか、毎日郵便受けを見ることです。 「あ、きてる。何の科目かな?評価は?おー、今回もAだー」と一人悦に入っています。
 三年間学んで今まで知らなかった新しいことを知るのはとても楽しいことです。 まさに学ぶ喜び、知る喜びです。 メンデルの法則、宇宙そして地球の誕生、月のうさぎの部分が黒いわけ、古文で方丈記を読み、漢文で論語を読む。 世界や日本の歴史、何十年ぶりかの墨の匂い、段々難しくなる数学。
 勉強が進むにつれ、目の前に何か新しい世界が広がっていくような爽快な気分になるのは私だけでしょうか。
 私がNHK学園に入学したのは進学のためでも、就職のためでもありません。 色々なことを勉強したい、もっと多くのことを知りたいと思う気持ちを捨てきれなかったからです。 人生の黄昏にあっても知識を広げ、学ぶ気持ち、学ぶ喜びは黄昏たくないと思います。 そして死ぬまで少しでも「濃密な時間」が過ごせればと願っております。
 老いも若きも、そして障がい者も分け隔てなく学べることは素晴らしいことです。
 そういう意味からもNHK学園は私にとって第二の青春です。


(お断り=原文は縦書きでしたが都合により横書きに編集しました=佐武)